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 主な産地別ペルシア絨毯


ゴム産 エスファハーン産 タブリーズ産
ペルシア絨毯ゴム産 ペルシア絨毯エスファハーン産 ペルシア絨毯タブリーズ産
ゾロアスター教の聖地ゴムは敬虔なイスラム教徒の街です。
絨毯づくりは1930年頃から始まりました。1960年代に入り、部分的にシルクを使った絨毯が現れ、やがてオール・シルクの製品が作られるようになってからヨーロッパでもゴム産の絨毯の人気が急上昇しました。
新興産地のため、伝統にとらわれない斬新なデザインがあり、宗教的に保守的な土地柄とはかけはなれた華麗な絨毯がつくられています。
エスファハーンはサファヴィー朝の古都、現在は世界遺産にも登録されている美しい町で、約2600年の古い歴史を誇ります。シャー・アッバス時代にはカーシャーンに次いで王立工房を設け、宮廷職人を育成し、各地から腕の立つ職人を集め手厚い保護を与えたためこの地は絨毯の一大産地になりました。繊細な色調と精微な織り、リズミカルで精巧なメダリオンから広がる唐草文様が代表的なデザインの特徴となっています。
トルコ結びで織られるタブリーズの手織り絨毯は絨毯模様の正確さ、結び目の堅牢さが時として機械織り絨毯と見間違うほどです。
タブリーズは東西文明が交差する要衝の地にあり、イラン最大の商業都市として古くから栄えたところです。
ヨーロッパ市場を見据えた絨毯づくりは、幅広いデザインの開発にも繋がりました。
カシャーン産 ケルマーン産 マシュハド産
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カシャーンの歴史は古く伝統工芸も盛んでペルシアをヨーロッパに紹介したのはカシャーンの商人でした。20世紀初め、当時絨毯産業の衰退した中で絨毯づくりが始まったことが復興のきっかけになりました。
『モクタシャム』という職人の作品がヨーロッパに高く評価され、モクタシャム工房は上質のシルク絨毯も作ったといわれています。
「モクタシャム・カーシャーン」という言葉は19世紀から20世紀初めにかけて最上級のカシャーン絨毯の呼び名です。
東西交通の要衝の地ケルマーンは18世紀初頭(1722)のアフガン族侵入に際して壊滅的な被害を受けましたが、絨毯づくりの伝統は失われることなく、細々ながらも受け継がれています。
18世紀に盛んだったショール産業の衰退で職人が絨毯産業に流れ込んだこともケルマーンの絨毯づくりを促進しました。19世紀末タブリーズ商人がいろいろなデザインを持ち込み発注、20世紀には欧米資本も流入し、第一次世界大戦後アメリカへの需要が増大。無地のフィールドのメダリオン絨毯である「アメリカケルマーン」が大量生産されました。
ホラサーンの州都マシュハドはシーア派十二イマーム派第8代のイマーム・レザーの殉教の地で、イラン第一の聖地です。
19世紀末、タブリーズの商人が絨毯産業復興のため、マシュハドにも乗り出し、数多くの絨毯工房を設立、多くの絨毯職人を投入しました。20世紀初めにイラン随一というアムーオグリー工房が設立されました。
マシュハドの絨毯の赤はコチニールを用いた独特の深みがあり、アムーオグリーの技はマシュハドの工房に受け継がれています。
ペルシア絨毯の黄金期は16世紀、最盛期はシャー・アッバス一世によって飛躍的に発展をとげましたが、その後は衰退。再度人気が復活したのは19世紀から20世紀初め激動の時代です。
ヨーロッパの社交界では日本文化が人気を呼び「浮世絵」、「伊万里」、「着物」などから陶磁器(マイセン)などの工芸品、絵画や建築装飾などの多岐にわたったたくさんの芸術が影響を受けました。
ペルシア絨毯が日本で本格的に販売されたのは昭和58年(1983年)です。
欧米、とくにドイツは実用品の手織り絨毯の普及率は70%を超えています。高級品においては英国(イギリス)がもっとも普及しています。
日本における普及率はその1割程度となっています。
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